皆さん、こんにちは!
最近あまり見かけませんが、私が子どもの頃、お正月の屋外での遊びというと「凧揚げ」でした。街中だといたるところに電線があるので、揚げる場所がなかなかなかったのでしょうが、私が育ったのは田舎でしたので、稲刈りの終わった田んぼでよく遊びました。
なぜお正月に凧揚げなのかといえば、「立春の季に空に向くは養生のひとつ」という言い伝えが由来とされています。つまり立春の頃に空を見上げれば健康にいい、だから凧揚げをして空を見上げるというわけです。また、男の子の誕生を祝い、無事な成長を祈るためのものともいわれます。そのためか、正月だけではなく5月の端午の節句にも凧を揚げる風習があり、この時期には日本各地で大凧を揚げるなどのお祭りが開催されています。
そもそも「凧」はいつ頃からあるのでしょうか? 一説では中国の春秋戦国時代の工匠の魯班という人が発明したといわれます。当初は戦争時の連絡手段など軍事目的で使われていましたが、それが貴族の遊びとなり、平安時代に日本の貴族に伝わったといわれています。江戸時代になると庶民の遊びとして大流行。当時は、「凧(たこ)」ではなく、長い尾をつけて空を舞う姿から「いか幟(のぼり)」と呼ばれていました。特に大きないか幟を揚げるのが流行り、所構わず入り込んで迷惑をかけ、凧が落ちて建物や物を壊したり、喧嘩沙汰で人に怪我をさせ時には命を奪ってしまうような事故が多発したそうです。そのため幕府は「いか幟禁止令」を出します。庶民は、ならば「いか」ではなく「たこ」ならいいだろうと呼び名を変えて対抗しました。そこまで人気の遊びだったのです。
長崎では「凧」ではなく「ハタ」と呼びます。中国から伝わった凧は鳥などの形を模したものでしたが、南蛮船が長崎に持ち込んだ凧は中近東やインドが発祥とされる菱形。諸説ありますが、その模様が南蛮船の旗に似ていたから「ハタ」と呼ばれるようになったそうです。ただ揚げるのではなく他のハタと戦って糸を切って落とすというもので、この伝統は今も受け継がれています。
私が小学校上級生の頃、海外モノのビニール凧が大流行しました。誰でも簡単に高く上げられると評判になったのですが、私が買ったのは安い偽物で、ちっとも上手く揚がらずがっかりしたことを覚えています。現在、揚げて遊ぶ機会は激減してしまいましたが、色彩やデザインが優れているため、和凧や長崎のハタはインテリアグッズとして人気を得ています。
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投稿を表示ビニールの凧があったのしりませんでした。
凧🪁幼少期に、あげた気がします…
学校でも作ったのかな?なんとなく記憶にあるよーな。
ちっとも上がらなかったです。
家には今だに凧糸だけ3セットあります…竹籤もあるから作ろうかな?えびす様のデザインで💮
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投稿を表示ビニールのカイトありましたね。川沿いなどあまり電線の無い所で揚げていたのを覚えています。私はヘタだったので親父が楽しんでました😅小学校では竹ひごを組んで和紙を貼って凧づくりをした事を覚えています。こちらも制作がヘタであまり良く揚がりませんでした😭作り手の性格が凧には出ますね。
懐かしい。
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投稿を表示海外製のビニールの凧、子供の頃、持っている友人が羨ましくてたまらなかったですねぇ。
日本古来の四角い凧よりずっと簡単に揚がる、ように感じていました。
それでも、和紙と竹ひごで手作りした凧が揚がると誇らしかったものです。
風の力を凧糸に感じて、凧揚げは本当に面白いですよね!
軍事用や連絡手段として使われていても、すぐに遊びに転用されたの、よく分かります。
それにしても最初に考えついた人はすごいですね~!
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投稿を表示こんにちは
ビニール凧、ゲイラカイトですね。
自分も田んぼで凧を揚げていたくちです。
小学校でも授業で凧を作って、グラウンドで揚げていました。
子ども同士、喧嘩凧なんかもやりました。
全然関係ないですが、「仮面の忍者赤影」で白影が凧に乗って空を飛ぶ姿、青影の「大丈~夫」のポーズとともに鮮明に覚えています。